第1回あさすぱ談義

1996〜1997

長塚
阿佐ヶ谷スパイダースが新しくなったということで、これまでの作品をメンバーで語り合ってゆこうぜというのをね、やります。最近の作品から遡ってゆくというのも考えたんだけど、やっぱり最初の作品から追いかけていくほうが話す俺たちも混乱しないでいいんじゃないかと。記念すべき最初の回は1996年と1997年にそれぞれ上演した2作品からスタートしたいと思います。
 
伊達
まずは記念すべき第1回公演『アジャピートオジョパ』!もはやこれ観てる人探すほうが難しいけど。それに1回こっきりのつもりだったから20年続くなんて思ってなかったし。お話としては『ポルノ』にも繋がるけど、選挙に立候補する男と、人形を子供だと言い張って育て始める妻の話だね。
 
中山
中山はまだスパイダースに参加してないし観てないけど・・懐かしい時代のにおいを感じる。 木曜日位が初日で金土日、とあっという間に終わる公演。最終日の日曜日もツーステやってバラして打ち上げして、朝まで飲んで解散みたいな公演かな?月曜日のロス感がハンパなくて、でもそれが当たり前だからまた火曜日からバイトや大学生活になる。という流れの中の演劇生活、懐かしいなぁ、若かったんだなぁ~と思う。。
 
伊達
劇場は荻窪だったんだけど、音響の加藤(アサスパ新メンバー)が当時隣り駅の阿佐ヶ谷に住んでたから「阿佐ヶ谷スパイダース」になったのよね。照明機材をハイエースで運んだり、学生時代は役者も裏方もなくみんなで何でもやったね。
 
中山
伊達は役者兼舞台監督かな? 話それるけど、今でも「阿佐ヶ谷でやってるの?」って聞かれるけど、アサスパって阿佐ヶ谷でやった事ないよね~
 
伊達
ないね。客演ではザムザ阿佐ヶ谷があるけど。舞監っていっても名ばかりだからね、全員野球だから。なんかよく覚えてないんだけど、「お隣さん」の役でちょっと出たよ。覚えてるのは、人形の子供がどんどん大きく育っていくっていう設定だから、小道具で何体か人形を作ったこと。一番デカいのは大変だったなあ、スタッフのアパートで夜なべして。1年後に第2回公演やると思ってないから、一瞬の花火みたいな印象の公演でした。
 
中山
花火ね~、祭りだよね芝居は!バイトしてる役者さんにまみれて一ヶ月狭い稽古場で稽古して、一週間しか下北沢で本番出来ないとか、祭り感ハンパないね、ロス感もハンパないからまた次の日も下北で集まって飲んだりして。
 
長塚
人形に心を植え付けるっていうのは、俺の中では普遍的にあるんだよね。念みたいなものなのかもしれないんだけど、信じると中に魂が宿った状態になる、みたいなね。人形遊びばっかりして育ったからかな。2001年の『日本の女』ではちょっとそういう意味では違うけど、でもしっかりと人形使ってるし、『アンチクロックワイズ・ワンダーランド』もまさにそこを扱うし、『あかいくらやみ』も土人形。人形好きだね。
 
伊達
台本を書く時に、フィギュアみたいな人形を役者に見立てて、実際におままごとみたく会話させるって言うもんね。やっぱ魂こもっちゃうよね。
 
長塚
俺は台本書く時にそのおままごとはしたことないけど、する人もいるらしい。
 
伊達
だから公演終わった後、小道具の人形たちは他の大道具とかと一緒に処分することができないで、ちゃんと感謝の儀式をしてお別れしたのを思い出した。
 
長塚
荻窪のアールコリンって小さい小屋だったね。劇場を借りる契約をしたときに血判を捺せって脅かされてね。勿論冗談だったんだけど、髪の長いおじさんで、ちょっと危ないような様子もあってさ、俺もまだ21歳で若造だったしね、からかわれたの。考えてみりゃあそんなの嘘に決まってるんだけど、エッて一瞬硬直してさ。凄く恥ずかしかった。
 
伊達
アールコリンはフランス語で、荻窪の芸術の丘に自由な創造の華を咲かせてほしいという願いが込められてたんだって。あのおじさんにそんな感じなかったけどね。ま、結果そのとおり華が咲いて第2回公演『SAUDADE』に繋がっていったからいいんだけどね。『SAUDADE 』はスペイン語で「郷愁」だっけ?
 
長塚
そういう意味もあるんだけど、「やるせない思い」みたいなニュアンスもある。言葉に出来ないことを単語にしたみたいな印象が俺にはあって、で、郷愁も作品に合ってるし、これでやってみようと。SFだよね。量子力学じゃないけれど、目の前にないものの存在は証明出来ないという理論があって、それなら誰の視界にも入っていない空間はそもそも存在するのか?存在するのならやっぱり誰かの目に触れているのではないか?で、こちら側の視界に入らないところで終わらない戦争を続けている人々の話にしたんだ。決して出会うことのないパラレル・ワールドとしてね。ところが一人戦争の世界からこちら側に転がり込んじゃうというね。
 
伊達
かたや戦争に明け暮れる若者が、戦争を知らず青春を謳歌する同世代と出会ってしまう。生まれて初めて甘いお菓子を食ったりしてね。やがて元の世界に戻るべきか決断すべき時が来るという。これ中山さん観に来てくれたよね?
 

 
中山
行ったよ、キッドアイラックホール!明大前!観に行ったあと何処に飲みに行ったんだろう‥やっぱり宮古かなぁ。泉陽二が真面目にやってんのに、なんか面白いっていうところが素敵だった。
 
長塚
宮古ねえ!明大前とか下北沢、駒場東大前あたりで芝居するとみんな宮古で飲んでたよね。俺あそこではしゃいで膝ざっくり切ったことあるわ。飲んでるもんだから血がばんばん出た。
 
中山
圭史も!あそこで飲む演劇やってた明大生はよくえらいことになってたよ、俺も燃えた事あるよ!
 
長塚
怪我するか記憶なくして朝店内で目覚めるか。早稲田でいうと海乃屋。ここも夜から飲んで昼くらい迄ダラダラする。よく営業出来てたな、あの店・・・宮古もだけど。
 
中山
早稲田系のスパイダースが明大前のキッドアイラックでやってる事も意外だった気がする。明大生にとっては観なれてる劇場だけどね~
 
長塚
阿佐ヶ谷スパイダースの前に俺と伊達、それからかとぱん(先述の音響の加藤)なんかは同じ劇団(笑うバラ)やってたんだけど、その当時からあんまり早稲田系列ではやってないのよ。東池袋サンライズホール(よくやってたけどもうない)とか大塚ジェルスホール(まだあるのかな?)、新宿タイニイアリスとか。『SAUDADE』の2本後に阿佐ヶ谷スパイダースが『鮫’98』やるでしょう?それが初めて早稲田と繋がった感じだもの。記憶が間違ってなければね。
 
伊達
そうだね。看板とかセットとかのタタキは早稲田の学生会館でいつもやってたけどね。キッドでやるときは目の前に明大があるから、明大の知り合いに電話して平台(舞台セットに使う台)借りたんだー。
 
中山
へー!そういえばナイロンの舞台作るお手伝いを伊達と明大で一緒にやらなかったっけ?
 
伊達
やったね。圭史もいたよ。新宿シアタートップスでやったナイロンの『フリドニア日記』のセットだね。そん時の舞台監督が諭志さんで、村岡さん(どちらも新メンバー)も出てたんだよね。
 
長塚
塗装を手伝いました。伊達は腕を買われて劇場仕込みまで手伝ってた気がする。フリドニア好きだったな。でもそれってもうちょっと前の出来事のような気がするなあ。阿佐ヶ谷スパイダース始めるちょっと前とか?調べればすぐわかるんだろうけれどね。曖昧なものは曖昧なままでもいい気もするし。
 
中山
そしたらスパイダース旗揚げする前から俺も知り合いだったんだね~
 
長塚
そうかもしれない。そうかもしれないねえ。確認すれば全部ハッキリするんだろうけどね。

中山
ふくちゃんこと福田将就とやった芝居の時出会ったという事だけは明確!
話戻るけど、甘いお菓子ってチョコは覚えてるけど・・他にカールとかは出てこなかったのかな?
 
伊達
カールは出なかったかな~。よくチョコ覚えてたね中山さん。初めて味わうチョコに泉さんがお茶目に喜んでたよね。あと、舞台作りの流れでオッホの『平均的』は本番も裏に入ってて、当時オッホにいた中山さんとはそこでも会ってる。
 
中山
あっ!そうかも打ち上げで全然しゃべらなかった伊達ちんを思い出した!『平均的』は全然覚えていない、東演パラータかなトップスかな?
 
伊達
まじで?トップスだよ。段差のある空間にドアだけたくさんあって、毎日ドアの立て付けをチェックしてたよ。
 
長塚
俺も『平均的』観た気がするな。政岡保宏とか富岡晃一郎とか、その後の阿佐ヶ谷スパイダースとの接点が結構オッホにあったりするんだよね。次回は中山さん初参加の『Spiders Limited』『鮫'98』『メロディ』の3本立てにしようか。またある意味濃いラインナップだけど。
 
中山
「ロッカー暑っち!」ね。俺の阿佐ヶ谷スパイダース初台詞ね~