第3回あさすぱ談義

1999

伊達
さて、今回からトミーがあさすぱ談義に参戦してくれます。
1999年最初の公演は『メロディー』。これ、駅前劇場に初進出なんだよね。この劇場は演劇の聖地下北沢にあって、若手劇団の登竜門なのです。

 
中山
メロディーは俺「太田」じゃない?

伊達
いきなり役名ね。んーん、太田かも。女装してた?

中山
ん〜仕草とかが途中からちょっとそんな感じ?
髪に可愛いピンどめしたかも‥駅前だとそういう小さな演出が伝わるから良いよね〜
 
伊達
アニキ(政岡保宏)が父子家庭のお母さんの役割で女装してたんだよね。これとかトミー観てるの?
 
富岡
俺は『spiders limited』がたぶん初阿佐スパ観劇だったと思うんだけど、『メロディー』は観たのかなあ。どんなお話だっけ?
 
伊達
詳しくはホームページのhistory みてね。みんな学ランとか着て高校生で、いじめられてた加藤啓が最後に日本刀でみんな叩き斬るの。
 
富岡
あ、それ!観てる気がする!ホームページ見るね。当時は実際みなさんも大学生くらいだよね?
 
伊達
いや、俺は長年学生だったからそうだけど、みんなは年上だし違うと思う。20代後半だね。
 
富岡
啓さんとか、いまでも近しいところで演劇やってる人がこの頃から一緒なんだね。どうやってキャスティングしていたんだろう。
 
伊達
うちらが早稲田に出入りしていたから、早稲田の劇研とかムニエルから出てもらってるね。顕作さんはその前から、トミーや中山さんともフジタヴァンテで一緒だったでしょ。まこりんも。
 
中山
まことさんはね、アゴラとかで見つけたんだよ。猫のホテルのチラシが面白くて‥
うちら明治大学系は演劇網全く張れてなかったので‥トミーはオッホのオーディションに来てくれたし。顕作は、日芸系の知り合いのつながりで紹介してもらったんだよ。
全部、俺がアサスパ系とつながる前のオッホ時代の話だね。
当時拙者ムニエルにいたアニキもオッホのオーディションに来てくれて繋がったんだよ!
ちなみに、次の芝居のURASUJIで共演してる現在ラッパ屋の中野順一郎くんも、それくらいの時に日芸つながりでオッホのワークショップに参加してくれて知り合ってる。
オッホの黒川さんの知り合いの「珍しいきのこ舞踊団」ではじまった日芸系との繋がりね、人見君も日芸つながりでオッホに入団する事になったんだよ。
 
富岡
オッホとか拙者ムニエルとか珍しいキノコ舞踊団とか懐かしい名前がいっぱい出てきた!(笑)キノコ、大好きだったなあー。
 
中山
トミーのおかげで、成城系とも繋がったんだよね!
 
富岡
「つめきり」ですね!
 
伊達
俺が初めてトミー観たやつ、明大前キッドアイラックで!
 
中山
そうそう、あとケイ(御徒町凧、直太朗の作詞家)とかイノッチとかもね〜
ツメキリのコンセプト「お嬢様の片手間芝居」だっけ?
 
富岡
爆笑。そうそうそれ、言ってましたね。今考えると最高ですね(自画自賛)
 
中山
オシャレだな〜って思ってた!当時泥臭い演劇の感じにはあまり興味なかったし、時代かもね〜自分は静かな演劇、ど真ん中世代だと思ってるし。
 
富岡
成城の人で泥水すすりながら演劇やるって珍しくて、でもそれを逆手にとって「私たちも成城じゃん?」みたいな感じであえてお嬢様とか言ってたと思います。
※泥、泥言ってますね(笑)
 
伊達
すごい繋がってるね。それでトミーが『綺麗』に登場なわけですね。
 
中山
トミーなんで突然、オッホ系からアサスパ系に?
早稲田系のつーこも引き込んで。
 
富岡
『綺麗』は、オッホを観に来た圭史さんが中山さんを介して誘ってくれた系です。対馬さんは僕が高校生のときから一方的に東京オレンジを観ててファンだったので、共演できてとても嬉しかった記憶です。対馬さんの一人芝居とか観に行ってたレベル。
 
伊達
じゃあ高校生のトミーと大隈講堂裏テントで会ってたかもね。俺もオレンジの『エキスポマニア』とか桟敷最前列でかぶりついてたよ。
 
中山
そうだ!トミーつーこのファンだ!
東京オレンジ、オシャレだったわ〜音響、照明のレベルが学生のレベルじゃなかった。
 
伊達
うちらもチラシはおしゃれ気取ってスポーツカー借りたね。白のロードスター。トミーはアサスパ系はどうだった?
 
富岡
新しい出会いがたくさんありました!スポーツカーでの撮影、今でもよく覚えてる!お兄さんたちおしゃれだなぁ、かっこいいなぁと思ってたよ!
 
伊達
「ポップ」っていうのが一つのキーワードだったよね。オレンジとか超ポップだし、オッホの転換とかね。シーンチェンジするときに暗転しないで椅子とかをおしゃれに役者が移動させるやつね。「わー、おしゃれ~」と思って観てたなぁ。